物語の体操(大塚英志)

----- 本当は誰にでも小説は書けるということ --------------------------
 ・文章の書き方は小説家の個性ではあるが、最後の仕上げの技術であって、数をこなしていけば自然に上達する
 ・そもそも書くことが思い浮かばない、おはなしが作れないことが問題である
 ・小説家や小説マニアは「おはなし」に否定的だが、小説家志願者までもが一緒になって否定することはない
 ・人間は「おはなし」を作る能力をもっているが、それをちゃんと伸ばせた人と、伸ばせなかった人がいる
 ・内田伸子さんの実験。絵が描かれたいくつかのカードを5歳ぐらいの子に見せ、「おはなしをつくって」と言うと、きちんと「おはなし」が作れる
 ・ルーンカードで、おはなしを作ってみよう(※ツールを用意しました
 ・100個ほどプロットを作って、おはなしを作るための筋トレをしよう

----- とりあえず「盗作」してみよう ----------------------------------
 ・この世に「創作による完全な著作物」が存在するとは、思えない
 ・物語を抽象化していくと、表面上の違いが消滅して「同じ」になってしまう水準があり、これを「物語の構造」と呼ぶ
 ・村上龍の小説を2000字で要約する、それから物語の構造を抽出して「盗作」し、別のプロットを作ってみよう
 ・「盗作」の場合、舞台や時代背景を思い切って変えてしまうことがコツ
 ・仮にある時代の優れた作品群が同じ物語構造をもっていたとすると、その物語構造に新しい表層を付け足して物語れば、同時代の文学の一端を素知らぬ顔で占めることもできる

----- 方程式でプロットがみるみる作れる ------------------------------
 ・「フランスの民話」(著:ミシェル・シモンセン  訳:樋口淳、樋口仁枝)
 ・ウラジミール・プロップの「31の機能」
 ・グレマスの「行為者モデル」
 ・行為者モデルという方程式をいろいろいじくっていると、冒険小説やミステリーに置ける定石が、自力で発見できるはず

----- 村上龍になりきって小説を書く ----------------------------------
 ・「二次創作」という言葉は、一次(オリジナル)を認めながら、自らも創作(オリジナル)とする不思議な言葉
 ・まんがを描く才能は5つぐらいに分けられる「1枚の絵を描く技術」「設定を構築する技術」「ストーリーを構築する技術」「コマを割って、まんがとして演出する技術」「既存の作品をアレンジする技術」
 ・プレイヤーは、プログラムされた「世界」の範囲内で自由である。つまり二次創作は、ゲームを1回プレイすることに相当する
 ・「世界」作りと「趣向」作り(※趣向は歌舞伎用語です)
 ・村上龍の「五分後の世界」と「ヒュウガ・ウイルス」を熟読して、同じ世界観に別キャラクターを用意して、三十枚の短編小説を書いてみよう
 ・「世界観」と「物語」は無関係に分断されたものではなく、一つの全体へ向かうものである

----- 「行きて帰りし物語」に身を委ね「主題」の訪れを待つ ------------
 ・小説を書く技術の何割かは「学力」とも言えるものである。100か200の細かいステップに分けて教えることもできるのではないか
 ・「行って帰る」という「お話」の原初的な構造に関してだけは、生徒たちの内側に自然に発生させたい、気がついたらできているという形にもっていきたい
 ・「行きて帰りし物語」は、「あちら側」と「こちら側」を往復することで少しだけ「こちら側」の風景が違って見える、新しい自分を見つけだす手続き
 ・書き手があらかじめ「テーマ」を設定してしまうと、政治的なプロパガンダになったり、説教臭くなったりと、弊害がある。だからこそ「健全なテーマ」が内側から湧いてくるような形に、生徒たちをもっていきたい
 ・子供が大人になるという「主題」が、民族習慣においても「昔話」においても、同じように「本当の家ではない仮の家」が深く結びつく
 ・言語や文化の違いを超えて伝わってしまうのは「構造」である
 ・伝説や神話や昔話の語り手たちが自覚せずとも、お話をお話たらしめる「力」が作用していて、それが「構造」である。これはいわば文法のようなもので、我々も英語の文法を学ぶように物語の文法を学ぶ必要がある
 ・「主題」を発見した生徒の進む道は2つに別れる。「私」を書く小説か、「キャラクター」を書く小説か

----- つげ義春をノベライズして、日本の近代文学史を追体験する --------
 ・つげ義春の「退屈な部屋」を、400字詰め原稿用紙30枚の小説として書き直す、期限は1週間
 ・視覚的な表現を言語化するのは、小説における文章表現の修行に最適
 ・一本の作品がコミックや映画、ゲーム、小説と多メディアで否応なく展開していく時代にあって作者もまた汎用性をもつ必要がある
 ・一人称で書いたほうが文体が発生しやすい
 ・三人称を採用した生徒は風景を写実的に追いながら何とかそこに「内面」を挟み込もうとして苦労している。この苦労を経たほうがより優れた文章表現を身につけられるのは確か
 ・日本語を使う我々は「私」と書き始めた瞬間、すらすらと小説が書ける
 ・キャラクター小説は、作中のリアリティを「私」=作者である、ということに求めない小説
 ・創作することで消費していく受け手たちは、コミックマーケットの肥大が象徴するようにまんがやキャラクター小説の世界では当たり前の事態となった

----- 「自作自演」の教養小説をつくる --------------------------------
 ・描き込む絵本「きみはひとりでどこかにいく」(著:大塚英志、七字由布)
 ・真っ白な紙の前で自由な表現をしようとした時よりも、たくさん制約をつけた時のほうが、結果として違うものになっていく
 ・よく人は「オリジナリティがある作品」とか「今までにない作品」をつくりたいと言いますが、ものを書くということは、実は人間が共通に持っている何かを繰り返しそれぞれのやり方で掘り返すということで、その共通のものをより確実に掘り起こすのが作家の力である
 ・「同じ型を繰り返すこと」と「みんなそれぞれの表現が違う」という、一見すると矛盾することが、でも同時に成り立つ。それを二つ同時にやることが、ものを表現すること
 ・「私をわかって」ではなく、自分で自分を何とかする「私」の「書き方」、つまり「自前の教養小説」が必要
 ・「私という病」にとり憑かれたら「私をわかって」ということばを連ねるのではなく、むしろ「自前の教養小説」で症状を緩和すればいい
 ・「本を読んで済ます」ことのできる人は幸福で、「Web以降」の時代にあっては、ついあれこれとWeb上で「私」について書いてしまう。そして「私をわかって」の欲求は肥大し、誤作動する

 ※本文章は「物語の体操/大塚英志(著)」を引用または要約して記述したものです

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